フォト
無料ブログはココログ

Weather

Ads by Amazon & Google

  • Ads by Amazon
  • Ads by Google

Nozbe

  • Nozbe

お勧めのブログ

お勧めのリンク

2012年2月 2日 (木)

ダビデに免じて

第一列王記15:3-5「彼は父がかつて犯したすべての罪を行い、彼の心は父ダビデのようには、彼の神、主と全く一つにはなっていなかった。 しかし、ダビデに免じて、彼の神、主は、エルサレムにおいて彼に一つのともしびを与え、彼の跡を継ぐ子を起こし、エルサレムを堅く立てられた。それはダビデが主の目にかなうことを行い、ヘテ人ウリヤのことのほかは、一生の間、主が命じられたすべてのことにそむかなかったからである。」

「あなたは罪人ですか?」と質問されて、ヨエルは、「はい」と答えることができる。それは、自分の弱さ、罪深さを知っているからだ。事実、ヨエルは信仰を持って、聖書を読む度に、以前よりも、感受性というのか、適切な言葉が思い浮かばないが、すぐに自分で自分を責めるようになった。良心の呵責というものが強くなったと思う。論理的に、道義的に正しくないことをすると、あとで、結構落ち込む。その時、よく思うのが、

自分は罪人なんだ。

という実感である。不思議なことだが、クリスチャンになる前より、その意識はずっと強くなったように思う。

聖書はクリスチャンになると、内側に聖霊なる神が住まわれることを約束として挙げている。そして、聖霊の役割は

罪について、義について、さばきについて、世にその誤りを認めさせます。(ヨハネ16:8)

とある。異言を話す、預言を語る、聖霊の賜物といったものが、聖霊と聞くと注目されがちであるが、本来の聖霊のMISSIONは、現象的なものではなく、内側からの変化だと聖書は言っている。聖霊は目にみえないし、実感がわかない上、わかりにくい。その上、教会では

御霊に満たされて歩みなさい。

聖霊との関係がクリスチャンライフの鍵です。

と言われるので、大切な物だとわかるものの、それを自覚するのが、困難だと思う。しかし、良心の呵責という点という身近なことがその証拠だと思うと安心する。

» 続きを読む

2012年2月 1日 (水)

この地上の出来事は、神の御旨なのか?

マタイ6:10「みこころが天で行われるように、地でも行われますように」

今の赴任地に来ることが決まる前、ヨエルが言っていた教会の牧師がヨエルにこのようなメールをくれた。

主は、御心を現される。

すでに、先の赴任地は可能性からして、事業的からして、会社組織上からして、そのまま居座ることは無理だと思っていたし、そのように牧師にもつたえていた。それでも、彼からすれば、私に残ってもらいたいと思っていたらしい。そして、この言葉だ。

私は、君がここに残ることを期待し、祈っています。

要するに、彼が言いたいことは、

ヨエルがこの地に残ることが、主の御旨であり、そうあることを祈っている。

と言いたいのだと思う。そして、いざ、全く違うところになると、

仕方がない。これが主の御旨だったんだ。

と言われる。ヨエルは、こういう言葉を聞く度に、福音書に出てくるイエスの姿と重ねて、現実があまりにも離れているように思い、がっかりする。

» 続きを読む

2012年1月31日 (火)

「隣人に“なる”」という意識と覚悟

第一ヨハネ3:16-20「キリストは、私たちのために、ご自分のいのちをお捨てになりました。それによって私たちに愛がわかったのです。ですから私たちは、兄弟のために、いのちを捨てるべきです。世の富を持ちながら、兄弟が困っているのを見ても、あわれみの心を閉ざすような者に、どうして神の愛がとどまっているでしょう。子どもたちよ。私たちは、ことばや口先だけで愛することをせず、行いと真実をもって愛そうではありませんか。それによって、私たちは、自分が真理に属するものであることを知り、そして、神の御前に心を安らかにされるのです。たとい自分の心が責めてもです。なぜなら、神は私たちの心よりも大きく、そして何もかもご存じだからです。」

イエスが地上でおられたとき、聖書全体を二つの戒めで要約されると言われた。

心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。

あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。

ルカの福音書10章では、更に、突っ込んだ質問がされる。

では、私の隣人とは誰ですか。(ルカ10:29)

しかし、イエスは譬え話をされてから、尋ねた人に対して、奇妙な質問をする。

この三人の中で誰が、強盗に襲われた者の隣人になったと思いますか。(ルカ10:36)

そして、イエスは

あなたも行って、同じようにしなさい。(ルカ10:37)

と言われる。

» 続きを読む

2012年1月29日 (日)

祈る目的と動機を考えた2日間

マタイ16:23「しかし、イエスは振り向いて、ペテロに言われた。『下がれ。サタン。あなたはわたしの邪魔をするものだ。あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている。』」

この土日は、ある人のために特別に祈る時としようと心に決め、そして祈っていた。その人は、ヨエルの前の職場の人で、ヨエルと仲良しだった人だ。

たまには、こういう日もあってもいいと思う。でも、いざ、祈るとき、色々なことを考えさせられた。

まず、祈り始めると、色々な思いがやってきて、祈りに集中させないようにする動きがある。

仕事を思い出したり、

突然、電話がかかってきたり、

やはり、悪魔の存在はあるのだろう。そういうことを経験すると、悪魔がこの2日間を祈りに捧げることを、喜んでいないことに気がついた。実際、なかなか集中して祈ることはできなかった。

祈りながら、一番考えたことは、2つのことだ。

なぜ、祈るのだろうか?

何を祈るのだろうか?

以前ほどではないが、今も時折、祈りのリクエストがメールで飛んでくる。

病気が癒されるように

試験に合格するように

そして、その最後には、当たり前のように、

» 続きを読む

2012年1月28日 (土)

わさびのような存在

詩篇141:5「正しい者が愛情をもって私を打ち、私を責めますように。それは頭にそそがれる油です。私の頭がそれを拒まないようにしてください。彼らが悪行を重ねても、なおも私は祈ります。」

新しい職場のヨエルの事務所の席は右隣にチームリーダ、左隣にチームリーダに教育をされているトレーニーが座っている。トレーニーは入社1年目。少し、ちんぷんかんぷんなことをするが、仕事を一生懸命にやっている。チームリーダの人は、途中入社組で、ヨエルの職場では、完全な異質な存在になっている。彼曰く、

私は、課長と方針は異なるが、ここの部署は変だと思っている。だから、変えていきたい。

私の考える優先順位は、効率的であることを軸としか考えない。

製造現場で働くものとして、効率的・効果的というのは必須のものであるが、現場での評価を聞くと、

対応が遅い。

とにかく、遅い。

でも、レポートだけはしっかりしたものが出てくる。

という評判しか出てこない。

設備の仕事をしていると、鳥の視点と虫の視点が必要と言われる。「取り敢えず、製造が困らないように対応すること(虫の視点)」と「根本的な原因を解決していく(鳥の視点)」の両立で、工場と設備の関係は信頼関係で結ばれている。しかし、左隣のチームリーダはとにかく、後者しか考えていない。そのせいか、書類作成には事細かに口を出す。それでいて、上に対してはへいこらしている姿が、チーム員にとっては不満らしい。ヨエルもそうだったが、完結に書くというのはかなりのトレーニングが必要なものだ。入社1年目、2年目では書けるほうが、珍しいくらいだ。それなのに、トレーニーは酷評されている。

職階上、たまたまヨエルと同じであるので、ヨエルにはあまり強くは言わないが、それでも、トレーニーには酷評している。その姿が、職場の恒例の行事になっている。

» 続きを読む

2012年1月25日 (水)

ナアマン将軍の偶像礼拝?

第二列王記5:17-19「そこでナアマンは言った。『だめでしたら、どうか二頭の騾馬に載せるだけの土をしもべに与えてください。しもべはこれからはもう、ほかの神々に全焼のいけにえや、その他のいけにえをささげず、ただ主にのみささげますから。主が次のことをしもべにお許しくださいますように。私の主君がリモンの神殿にはいって、そこで拝む場合、私の腕に寄りかかります。それで私もリモンの神殿で身をかがめます。私がリモンの神殿で身をかがめるとき、どうか、主がこのことをしもべにお許しくださいますように。』 エリシャは彼に言った。『安心して行きなさい。』そこでナアマンは彼から離れて、かなりの道のりを進んで行った。」

昨日、ある人とチャットをしていたとき、社会風習との関わりの話になった。直接は、結婚相手がクリスチャンでないときはどうするのか?ということが発端だったが、その理由を社会風習との関係に重きを置いていると言う印象を受けた。

姑と一緒に仏壇の前に座り、こう祈るの?

「神よ。彼らは何をしているのかわからないのです。」とでも。

そう言っていた。

でも、その人が特別ではない。ヨエルの友達のクリスチャンでこういうことをいう人はいくらでもいる。この発言を聞く度に、ヨエルは思う。

イエスなら、別の行動をしたのに・・・・。

なぜ、クリスチャンは、外見で判断し、ステレオタイプの人ばかりなのだろう?

それが残念で仕方がなかった。

ヨエルの友人に、社会に出ると、神社や仏閣に参拝させられるから、フルタイムの奉仕者になったという人がいる。事実、建設業界では必ず地鎮祭はやるし、古い大きな工場では工場の中に自前の神社があるところもある。製造業は特に多いが、会社の事務所に神棚が飾ってあるところは多いはずだ。では、尋ねよう。

その人達のために、誰が福音を伝えるのか?

» 続きを読む

2012年1月23日 (月)

この日は主が造られた。

詩篇118:24「これは、主が設けられた日である。この日を楽しみ喜ぼう。」

新しい赴任地になってから、始業時間が1時間早くなった。そのせいか、朝、今まで通りに生活していると、聖書が読めなくなる時がある。朝の30分だけでも、聖書を読み、祈る時間を持つことは、ヨエルの過ごす一日を大きく左右することを経験的に知っている。本来なら、聖書をじっくりと読み、そして祈る時間を持つのだが、どうしても無理なときは、それに備えて、安易な方法を準備している。それが、「Your Version」というインターネット上のサービスだ。

このサイトでは、聖書はいろいろな国で読める上、ディボーションや聖書の分かち合いなどを自由に書き残すことができる。日本語のサイトもあるが、日本語の聖書は著作権の問題があり、なかなか充実していない。そのため、ヨエルは英語の聖書を活用している。そのサイトで、ヨエルは「Life Application Study Bible ® Devotion」というシリーズに取り組んでいる。ここでは、毎日聖書の箇所が数節あげられ、そして小メッセージが英語で書かれている。小メッセージを読むには時間があるが、聖書の箇所を見て、自分の聖書を開けば日本語で読むことができる。そこで、ヨエルは、どうしても時間がないときには、これを活用している。

そして、今朝読んだのが、実は冒頭の聖書の箇所だった。

この箇所を読んで、ヨエルはすぐに、この賛美を思い出していた。

» 続きを読む

2012年1月22日 (日)

雪のふる朝

詩篇32:1-2「幸いなことよ。そのそむきを赦され、罪をおおわれた人は。幸いなことよ。主が、咎をお認めにならない人、その霊に欺きのない人は。」

一昨日から今朝に掛けて、雪が降った。だいたい20cmくらい積もっていた。東京の都心では5cm、10cm積もれば、交通渋滞だが、さすがに、元々雪が多い地区だ。何も問題は起きない。それでも、今年は雪が本当に少ないと思う。見える北アルプスは、雪雲に覆われているが、それでも、街中は、雪がなく、アスファルトの道路は、凍結することなくむき出しになっている。ヨエルが前回赴任した年は、大雪で、一晩に80cmくらい簡単に積もったこともある。そのことを考えると、20cmくらいの積雪は大したものとは思わなくなった。

雪が降ると、2つの思いが交錯する。

一つは、残念だ、どうしようという思いだ。広い工場内を移動するのは自転車がほとんどだ。雪が降ると、自転車が使えなくなる。地元の人はそれでも、ドリフトさせながら、自転車に乗っているが、ヨエルはそれをする勇気が未だに持てない。そのせいか、雪が降ると、どうしても、仕事が屋内の仕事になる。それに、工場と住居が目と鼻の先なので、徒歩で動けるのだが、徒歩で動く場合に付け、自動車で動くにつけ、凍結した道路を歩かなければならない。それが怖くて仕方がない。先輩に聞くと、信号で上り坂で停止したものの、その後、アクセルを踏んでもスリップをして車が前進出来なかったことの恐ろしさを聞いている。そのことを思い起こすと、自動車で移動する気持ちにもなれない。どうしても、必要なときは、意を決しての覚悟と、祈りを持って、ハンドルを握ることにしている。

しかし、雪が降ると、残念という思いよりも、嬉しいという思いのほうが、ヨエルからすれば圧倒的に大きい。雪が降ると、葉っぱを落とした街路樹の枝に雪が乗り、すごく綺麗に様変わりする。そればかりではない。全てが雪で覆われ、周囲が白一色に変化するのだ。聖書は言う。

「さあ、来たれ。論じ合おう」と主は仰せられる。「たとい、あなたがたの罪が緋のように赤くても、雪のように白くなる。たとい、紅のように赤くても、羊の毛のようになる。(イザヤ1:18)

罪が緋のように赤くても、雪のように白くなると言っているのは、単に雪が白いからではないと思う。そのことをヨエルは雪国に住むようになって実感した。赤いものであっても、雪が降って積り、覆ってしまうのだ。だから、回りから見ると、真っ白くなってしまうのだ。

このことは、ヨエルの信仰生活にも大きな影響を与えている。

» 続きを読む

2012年1月21日 (土)

神との関係を測る指標

第一サムエル26:24「きょう、私があなたのいのちをたいせつにしたように、主は私のいのちを大切にして、すべての苦しみから私を救い出してくださいます。」

新転地に赴任してから2週間が経った。この2週間の間に、ヨエルは前の職場のメンバー5人からメールをもらい、一本の電話をもらった。未練がましいと思う一方で、新転地に赴任しているヨエルを気にしているのだと改めて、かつての職場の仲間の有り難さを感じている。

5人のメールの中には、2人の派遣の方がいた。この人達は、特にヨエルがよく話を聞いていた人だ。愚痴を聞き、そして、お互いに気遣い、そして、ヨエルはその人達のために祈っていた。いや、今も、祈っている。可能な限り、時間を作り、そして、話を聞き、誤解しているところは説明し、励ましていた。自分にできることで彼らが、仕事をしやすくできるのであれば、それを率先してやってきた人たちだ。彼らのメールを開いて驚いたのは、昨年と全く同じ表現、内容の物が多かったことだ。まるで、ヨエルがどこかに出張しているような雰囲気の内容で興味深かった。実際には、プレイベートで戻ることがなければ、かつての職場に行くことはない。一種の喪失感があるのかも知れないと思う。

愚痴を聞くというのは結構、辛い経験だ。まして、職場が変わってしまえば、愚痴を聞いても何もならない。何もならないと伝えた所で、彼らもそのことを自覚しているはずだ。愚痴と言うか、不満、不平、満たされない思い・・・・。ヨエル自身も、このことは最初のうちだけだと思っている。昨年まで出向していた会社の工場は、今年中には海外に持っていってしまう。派遣の人達は、そのまま失職する。精々あっても1年程度。それでも、不思議な気持ちがする。それなのに、なぜ、ヨエルに愚痴を送ってくるのだろうか?

考えて得た結論は、

関係の深さ、親密さ

だと分かった。

親しい関係であれば、本当に久しぶりに顔を合わせたとしても、すぐに本音のところに入ることができる。何を話をしても、他言される心配はしなくてもいい。そして、何時間でもその人と話すことができる。愚痴を話していても、解決を求めていることは殆ど無い。彼らは、ただ聞いてもらいたいということだった。そこに原因があるのが、関係性ではないだろうか?

» 続きを読む

2012年1月20日 (金)

東大、秋入学移行へ 国際競争に危機感 留学促進狙い

リンク: クローズアップ2012:東大、秋入学移行へ 国際競争に危機感 留学促進狙い - 毎日jp(毎日新聞).

日本の最高学府である東京大学が、春入学ではなく、秋入学に変える方針を出したのが、大きな話題になっている。よく言われるのが、大学ランキングで、日本の大学がトップテンに入ることが無いということだ。

色々な期間が世界中の大学ランキングを出しているが、東京大学は精々20位が関の山と言ったところだ。でも、研究自体は世界の中では堂々とランクイン出来るレベルの中にいる。引用論文の数からすれば、必ずトップ5に入るほどである。問題は、

東京大学が、日本の優秀な人材が集まってくる大学である。

という一点に絞られるようだ。

でも、本当に求められているのは、

東京大学が、世界の優秀な人材が集まる大学になる。

こととされている。

たしかにそうだ。少子高齢化の日本で、いくら優秀な人材が集まってくるといっても、年々競争は落ちてくる。競争原理が働かないと、レベルは上がって行かない。今やグローバル化している世の中で、狭い日本だけで満足しているようでは、大学卒業しても屁の役にも立たない人が掃いて捨てるほどいる。それが、現実だ。

ヨエルは、このニュースを聞いたときは、本当に素晴らしいと思った。

» 続きを読む

«忙しすぎてはいけない。

Our Earth

Twitter

Translate

2012年2月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29      

最近のトラックバック